英会話におけるcultural presuppositions(文化的な前提条件)

以前、我々は「社会言語学」的な観点から、我々外国人同士の会話の中に潜むコミュニケーションの障壁についてみてみました。

今回、そのコミュニケーションの障壁の一つとなる『社会言語学的(Sociolinguistic)要因』について考察してみたいと思います。少しアカデミックな単語ですが、言っていることは単純です。要するに、我々の国や文化が違えば、ある種の文は翻訳が不可能だということです。例えば中国では『Have you eaten?(もうご飯食べた?)』と、挨拶代りに聞くことがありますが、これは、我々のニュアンスでは『もうご飯食べた?(食べていないなら一緒にご飯食べない?)』のニュアンスを暗に含んでいることがあると思います。

今回は、それと少し似ていますが「cultural presuppositions(文化的な前提条件)」が我々の会話に及ぼす影響についてまとめていきたいと思います。

スポンサーリンク


cultural presuppositions(文化的な前提条件とは)

例えば、我々日本人は「10全てを語らない民族」で、相手の言わんとすることをある程度「察する」文化だと言われています。実際に海外の人々と話してみるとそれを実感しますが、とにかく外国人、特に欧米人は「明白な説明」を求めます。

それに対し、我々は大体10のうち6も説明すれば相手が分かってくれるだろう、ということで、会話の最中にも最後まで語りません。例をあげると、少し面倒なイタリア人、フィリップ君が、あなたと一緒に食事に行きたいとします。

フィリップ君「今日の夜は暇?一緒に食事に行かない?」
あなた「明日の朝は会議だから、今日はプレゼンの準備をしなくちゃだよ」
フィリップ君「じゃあ、早い時間から食事に行こう!」

この会話の中で、あなたは「yes」とも「no」とも言っていませんが、暗に「今日はあなたと飲みに行く気分じゃない」ということをほのめかしています。一方、フィリップ君はそんなことお構いなしに「食事に行こう」と誘っています。

要するに、この二人の間において、円滑なコミュニケーションはなりたっていない状況です。

In many instances of cross-cultural communication it is important to understand the cultural presuppositions which lie behind speakers’ words and their expectations and interpretations. For instance, a Chinese student (C) asks a British person (B) for help.

『多くのケースにおいて、異文化コミュニケーションにおいて、話し手の背後にある「cultural presuppositions(文化的前提条件)」とその期待を考察することは非常に重要である。以下、中国人の生徒とイギリス人との会話を見てみよう。』

このもう少しアカデミックな例を、以下の英文の中で見ることができます。このブログで扱っている英文はそこまで難しいものではないので、和訳を見る前によければリーディングにチャレンジしてみてください。

C Can you help me?B I would like to help you….but I’m afraid I can’t because….

『(中国人生徒)すみません、ちょっと助けてもらえないでしょうか?(イギリス人)ああ、助けてあげたいです。が、残念ながら助けてあげられない事情がありまして・・・』

続いて、上述の会話の考察です。

When C heard the first words she was very happy, believing she would get help; when she heard the second phrase she was very disappointed. She thought, ‘Why did you raise my hopes and then let me down?’ She concluded that B was hypocritical. It would help if she understood the cultural presuppositions that B is using: first, to show good will and kindness by saying he would like to help, then moving to the main point that he cannot help before explaining why not. A Chinese speaker would probably give the reasons for not helping first before concluding that it was impossible: this would prepare the hearer for the bad news.

『中国人生徒がイギリス人の最初の言葉(I would like to help you)を聴いたとき、とても悦ばしく思ったことだろう。ところが、続けざまにイギリス人が「やっぱり助けてあげられない」というものなので、中国人生徒は非常にがっかりした。「なんで助けてくれないのなら、わざわざ一度ぬか喜びさせたのだ!」中国人生徒は、このイギリス人を「偽善者である」と結論付けた。ただし、もしこの中国人生徒が以下の文化的前提条件を知っていたならば、このイギリス人のとった態度を理解したであろう。すなわち、イギリス人はまず初めに、「助けてあげたいよ」と言うことで良い姿勢と親切さを見せ、ついで、「実際には助けてあげられないんだ」という本題に入り、最後に助けてあげられない理由を説明するのだということを。恐らく、中国人はそれとは逆に、まず助けてあげられない理由を説明し、次いでそれが困難であることを説明しただろう。』

これは、まさしく「文化的前提条件」が全く異なったもの同士の会話での行き違いです。こうした問題は、実際のところ残念ながらオンライン英会話などでは身に着けることができない、本当に「生きた英語でのコミュニケーション」の範疇です。

今回の例はイギリス人と中国人ですが、もちろん彼らのようにリアクションしない中国人とイギリス人もいますし、他の国の人たちでも、異なったリアクションをするような人たちもいます。

文化的前提条件を克服するために

克服方法に関してみてみる前に、もう一つ例を見てみましょう。再び中国人が登場しています(これは、若干作者のステレオタイプが入っているような気もしますが)。

Many Chinese and Latin Americans respond to personal invitations by accepting to come, but when the day arrives they may not turn up. This has left many British and North American hosts puzzled, thinking: why did they promise to come, then break their promises? Can they he trusted? But this interpretation misses the Chinese or Latin American cultural presupposition behind their reply: it is better to show good will, by accepting and perhaps not go, than to refuse and bring immediate disappointment to the potential host.

『多くの中国人やラテンアメリカ人は、よくお誘いを受けると「いくいく!」といって承諾するが、実際に待ち合わせの日になっても姿を現さない、ということは多々ある。この現象は、ちょくちょくイギリス人や北米の人々を悩ませることとなる「どうして彼らは来ると言ったのにこないのだろう?」ただし、この解釈は、中国人やラテンアメリカ人の文化的前提条件を認識していないがゆえに起こりうる問題である。彼らにとって、「一旦行く意思を見せて行かない」ということは、即座に断って彼らを失望させるよりもましだと思われているのだ。』

いわゆるドタキャンの文化です。中国人に限らず、日本人にもこの傾向は多いように思えますし、私もこのような思考方法はあながち、分からなくもありません。東洋人は比較的、面と向かって相手に対して断ることが苦手なのに対して、西洋人は「はっきり言ってくれよ!」とそれに対してイライラします。

そして、こうした文化的背景の違いを克服するためには、つまるところ「多くの人々と触れ合う」というくらいしか手立てがありません。日本だけでも1億人以上の人がいて、中には変わった人、面白い人、まともな人、と十人十色の人種がいます。

そして世界に目を向けてみると、その70倍近い人々が犇めいており、十把一絡げに、この人種はこう、この人種はこう、と決めつけることはできません。ただ、多くの外国人と触れ合うことによって、やはり「ある程度のパターン」というものもつかめてきますし、ある程度こうした差異に関して寛容になることができます。

繰り返しますが、英語はコミュニケーションのための最低条件でしかありませんので、より円滑に、より楽しいコミュニケーションを求めるのであれば、こうした「コミュニケーションに必要なスキル・知識」を様々なところから吸収する必要があります。

なんにせよ、英語でのコミュニケーションの土台に立つには、最低でも「英会話」というハードルを乗り越えなければいけないのです。

スポンサーリンク

コメントを残す



このページの先頭へ